2019年11月04日

万葉集 その二十六

manyoshu_26-page1.pngmanyoshu_26-page2.pngmanyoshu_26-page3.png

2597 いかにして忘れむものそ吾妹子に恋はまされど忘れえなくに よみ人しらず


2789 玉の緒の絶えたる恋の乱れなば死なまくのみそまたも逢はずして よみ人しらず


2418 如何ならむ名を負ふ神に手向せばわが思ふ妹を夢にだに見む よみ人しらず


2932 心には燃えて思へどうつせみの人目を繁み妹に逢はぬかも よみ人しらず


2933 相思はず君はいませど片恋にわれはそ恋ふる君が姿に よみ人しらず


2922 夕さらば君に逢はむと思へこそ日の暮るらくも嬉しかりけれ よみ人しらず


その二十六は、第十一巻と第十二巻より六首。この二巻は目録上の分類でそれぞれ、古今の相聞往来の歌の類の上、同下と題されており作者未詳の相聞歌が多く集められていて、のちの勅撰和歌集における恋の歌とはかなり違った趣のある、万葉集らしい歌の世界に思われる。「正(ただ)に心緒(おもひ)を述べたる歌」から四首(2597,2922,2932,2933)、「物に寄せて思ひを陳(の)べたる歌」から二首(2418,2789)選んだ。


posted by nob-aki at 19:33| Comment(0) | manyoshu | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月30日

万葉集 その二十五

manyoshu_25-page1.pngmanyoshu_25-page2.png

194 飛鳥の明日香の河の上つ瀬に生ふる玉藻は


195 敷栲の袖かへし君玉垂の越野過ぎゆくまたも逢はめやも


その二十五は、柿本人麻呂による長歌と反歌(194〜195)。題は「柿本人麻呂の泊瀬部皇女・忍坂部皇子に献れる歌一首并せて短歌」で、

195の反歌のあとに、「右はある本に曰はく、『河島皇子を越智野に葬りし時に、泊瀬部皇女に献れる歌なり』といへり。」と説明される、挽歌。


posted by nob-aki at 22:11| Comment(0) | manyoshu | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月03日

万葉集 その二十四 フルート伴奏つき音源



丹生の河瀬は渡らずてゆくゆくと恋痛きわが弟こち通ひ来ね 長皇子


瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして思はゆ何処より 山上憶良


銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも 山上憶良


うづら鳴く故りにし郷ゆ思へども何そも妹に逢ふ縁も無き 大伴家持


言出しは誰が言にゃるか小山田の苗代水の中淀にして 紀郎女



先にソロの音源のみ投稿していた、その二十四のフルート伴奏つきの音源。長歌にフルートの伴奏を付したのは、今回が一つ目。以前にソロの音源のみ投稿したものを、このように伴奏を付けて投稿してみるのもよいかもしれない。


posted by nob-aki at 20:44| Comment(0) | manyoshu | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月01日

万葉集 その二十四

manyoshu_24-page1.pngmanyoshu_24-page2.png

丹生の河瀬は渡らずてゆくゆくと恋痛きわが弟こち通ひ来ね 長皇子


瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして思はゆ何処より 山上憶良


銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも 山上憶良


うづら鳴く故りにし郷ゆ思へども何そも妹に逢ふ縁も無き 大伴家持


言出しは誰が言にゃるか小山田の苗代水の中淀にして 紀郎女


その二十四は、短歌三首と、長歌一首とその反歌一首の計五首。作者は、長皇子(130)、山上憶良(802,803)、大伴家持(775)、紀郎女(776)。大伴家持と紀郎女の歌は、贈答歌。

紀郎女の歌(776)は、「言出しは誰が言なるか」と一般的には読み下される。ここは万葉仮名では、「言出之者誰言尒有鹿」とあって現代では「尒有」をひらがなで「なる」とするらしい。しかし「尒有」は、そのまま書けば「にある」となって、「な」の音を含まない。ここでは「尒有」を「にゃる」とした。




posted by nob-aki at 01:22| Comment(0) | manyoshu | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月14日

万葉集 その二十三

manyoshu_23-page1.pngmanyoshu_23-page2.png

208 秋山の黄葉を茂み迷ひぬる妹を求めむ山道知らずも  柿本人麻呂


209 黄葉の散りゆくなへに玉梓の使を見れば逢ひし日思ほゆ  柿本人麻呂


40 嗚呼見の浦に船乗りすらむをとめらが珠裳の裾に潮満つらむか  柿本人麻呂


41 くしろ着く手節の崎に今もかも大宮人の玉藻刈るらむ  柿本人麻呂


42 潮騒に伊良虞の島辺漕ぐ船に妹乗るらむか荒き島廻を  柿本人麻呂


501 未通女らが袖布留山の瑞垣の久しき時ゆ思ひき我は  柿本人麻呂


139 石見の海打歌の山の木の際よりわが振る袖を妹見つらむか  柿本人麻呂


その二十三は、短歌五首。柿本人麻呂の作。
208-209の短歌二首は、「柿本朝臣人麿の妻死(みまか)りし後に泣血(いさ)ち哀慟(かなし)みて作れる歌」
207の長歌とともにまとめられ、内容的にも対応しているが、反歌としてではなく短歌とされる。

40-42の歌は、「伊勢国に幸しし時に、京に留まれる柿本朝臣人麿の作れる歌」

41の歌に「今もかも」とあるのは一般に「今日もかも」とされるが、中西進著『万葉集』の注を参考に「今もかも」の訓をとった。

掲載した音源には、その二十三の短歌五首とともに、その三とその十一で既に作曲した柿本人麻呂作の短歌に、同様に笛の伴奏を添えたものを含む。


posted by nob-aki at 02:00| Comment(0) | manyoshu | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月12日

万葉集 その二十二

manyoshu_22-page1.pngmanyoshu_22-page2.png


163 神風の伊勢の国にもあらましをなににか来けむ君もあらなくに  大来皇女


164 見まく欲りわがする君もあらなくになににか来けむ馬疲るるに  大来皇女


165 うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山を弟世とわが見む  大来皇女


166 磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君がありと言はなくに  大来皇女



その二十二は、短歌四首。大来皇女の作。いずれも大津皇子を悼んで詠まれた歌。

163、164の歌で「なににか」とあるところは「なにしか」と読まれるのが一般的のようだけれども、中西進著『万葉集』の注を参考に「なににか」の訓をとった。

標題は、
163-164の歌には、「大津皇子のかむあがりましし後に、大来皇女の伊勢の斎宮より京に上りし時に作りませる御歌二首」
165-166の歌には、「大津皇子の屍を葛城の二上山に移り葬りし時に、大来皇女の哀しび傷みて作りませる御歌二首」
とそれぞれつけられている。


posted by nob-aki at 23:13| Comment(0) | manyoshu | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月30日

声とピアノのための万葉集 その二

manyoshu_vocal_02-page1.pngmanyoshu_vocal_02-page2.pngmanyoshu_vocal_02-page3.png


その二は、大伴坂上郎女の作。娘の大嬢(おほをとめ)に宛てた「京師(みやこ)より来贈(おこ)せる歌一首并せて短歌」と題される長歌とその反歌一首。
旋律は、万葉集その十九で作曲したもの。


万葉仮名と楽譜

その二でも、歌詞の表記としては作品のままに、万葉仮名を用いている。万葉仮名は、ひらがなと比べて書くのには手間がかかるのではないかと思うのだけれども、少し慣れてきたせいかあまり読みにくいとは思わない。特に歌としてよむためにはむしろ平仮名よりも万葉仮名のほうが読みやすいようにも思えるほど。音符一つ一つに対してすべてひとつずつ漢字をあてることができるなんて、楽譜としてとても読みやすい。

むしろこの楽譜というものには、万葉仮名をのぞけば日本語では歌詞を、漢字を使わずに平仮名もしくはカタカナでしか書くことができない、ということの意味。意味あるいは限界といってもよいかもしれないけど、

つまり日本歌曲って平仮名なんですよねえっていうそのへんがあまりぱっとしないというか、べつに日本歌曲にぜんぜん限らないけど、日本語を活かしきれないのですよ、西洋の楽譜というものはね、っていう根本があって、根本なだけにちょっと考えたほうがいいんじゃないかっていう云々。

ためしに本棚から謡曲なんかを引っ張り出してぱらぱらめくってみれば、そこには漢字と仮名まじりでつづられた文章がある。

小学唱歌ぐらいならまだいいけれど、かなは純粋に声を出すためには有用だろうから、しかし、

かな、のみでつづられた日本語がはたして詩として成り立ちうるのかどうか、三十一文字ぐらいならまだよいけれど、とそこまで煎じ詰めれば、

楽譜にドイツ語やフランス語が書いてあるのと、日本語が書いてあるのとは、同じことではない、ということが明らかとなる。

それゆえに、万葉仮名の、かな一文字一文字に必要とあらば意味をあてることができるというのは、価値のあることなのだと、特に楽譜の中の日本語にとって。そういうことが言えるので、今後も一つの音に対して一文字が対応するスタイルの万葉仮名であれば、楽譜の表記のために活用していきたいところ。


旋律とコード進行

manyoshu_vocal_02_chord-page1.pngmanyoshu_vocal_02_chord-page2.png

万葉集の歌を、歌曲という形式、あるいはコンサートという形式等に限る必要はないので、旋律とコード進行のみの譜面もこころみに作ってみた。

この譜面をもとにするなら、どのような楽器で伴奏してもよいし、どのような場所で状況で、演奏してもかまわないわけだから、これで十分といえなくもないけれど、作品を拵えるという意味では、ピアノパートを付してそれは成るもの。けれども、この旋律譜は別の視点を供するものとはなるかもしれない。

長歌は、かなりシンプルなコード進行でまとまってるけれど、短歌のほうは、少々込み入っている。こう違いがわかりやすく見えるかたちとなるのもまたおもしろいようにも思える。


posted by nob-aki at 21:40| Comment(0) | manyoshu | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月25日

声とピアノのための万葉集 その一

manyoshu_vocal_tachiyama_ikenushi-page1.pngmanyoshu_vocal_tachiyama_ikenushi-page2.pngmanyoshu_vocal_tachiyama_ikenushi-page3.pngmanyoshu_vocal_tachiyama_ikenushi-page4.png

万葉集#4003〜4005 大伴池主作。先の大伴家持の歌(4000〜4002)に応え、立山を詠んだ長歌とその反歌。

昨年末に書いた、ピアノのための万葉集。和歌のための旋律をもとにピアノ作品を構成するというコンセプトのもと、特に万葉集にあっては、長歌を器楽作品としてかたちにする、そのような試みであったわけだけれども、少し時間がたってそれらがより客観的に見えるようになった今思うに、この長歌のピアノ作品は、声楽のための作品であるべきだろうと思われる。

もともと歌なのだから、至極もっともなことのようでもあるのだけれど、これを歌曲とし、これが日本歌曲なのだというならば、これはかなり特異な形式ともいえる。こんな歌曲は見たことがない。おおむねかたちを同じくするフレーズがはじめから終わりまでつづく楽章があるかと思えば、それに連なる二つの楽章の短さ。ウェーベルンですら、歌のため、声楽のためには、これほど短い楽章は書かなかったことだろう。

けれども、それらの特異さが、日本語のもつ性質からくる必然によるものであるならば、それはいたし方なきこと。

万葉集を声楽作品とするにあたって、メインとなるのは長歌。この長歌というものは、歌われるべきものであり、そして歌うことを専らとする人のものともなるべきなのだろう。

日本語本来のあり方にもとづいて日本語を歌うということは、あるいはエンターテイメントの枠に収まるものとはならず、歌うということのあり方そのものが、現代と中世や古代とは、幾分異なる。しかし、中世や古代の和歌の内容を見れば、千年や二千年ぐらいで人間の本質がそうそう変わるものでもないようにもまた思われ、そして歌うということはまた、人間のより本質に根付くものならば、このような日本語に根ざした歌をこそ、現代において聴かまほしき、歌であり、響きということにもなるだろうか。

歌詞の表記については、万葉仮名をとっている。これは、せっかく万葉仮名で書かれたものをひらがなになおしてしまうのは、惜しいことのように思われるからで、それでもより実際的な用途からひらがな表記による版もあってよいだろうし、また時代によって万葉仮名のスタイルにも違いがあり、字数と音数とが必ずしも一致するとは限らない。柿本人麻呂の時代であれば、一字に複数の音を含むほうがより一般的なほど。その場合、楽譜としてはひらがな表記が好ましいということにもなるだろう。


posted by nob-aki at 00:19| Comment(0) | manyoshu | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月12日

万葉集 その二十一

manyoshu_21-page1.pngmanyoshu_21-page2.pngmanyoshu_21-page3.pngmanyoshu_21-page4.png

3993

3994



その二十一は、大伴池主の作による長歌一首(3993)とその反歌一首(3994)。大伴池主は長歌に秀でている。万葉集に収録されている大伴池主作の長歌は四首あって、曲をつけるのは、これで二つ目となる。


posted by nob-aki at 19:00| Comment(0) | manyoshu | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月29日

ピアノのための万葉集 その二

manyoshu_piano_02-page1.pngmanyoshu_piano_02-page2.pngmanyoshu_piano_02-page3.pngmanyoshu_piano_02-page4.png

万葉仮名ver.manyoshu_piano_02_manyogana-page1.pngmanyoshu_piano_02_manyogana-page2.pngmanyoshu_piano_02_manyogana-page3.pngmanyoshu_piano_02_manyogana-page4.png

manyoshu_piano_02.pdf

manyoshu_piano_02_manyogana.pdf


その二は、その一の大伴家持の立山を詠んだ歌(4000〜4002)に引き続き、それにこたえるかたちで詠まれた大伴池主作の立山の歌(4003〜4005)。

今あらためて大伴池主のこの作品を見てみると、漢字かなまじりの表記よりも、万葉仮名でなければ、この作品の真価が味わえないような気がした。それで、作曲にさいしても、万葉仮名を見ながらピアノのスコアを書いたので、書き終えた今、ひらがな表記のスコアを目にすると、多少の違和感もある。そこで、こころみに万葉仮名表記のスコアも作成した。

大伴池主は、彼の作による漢詩もまた万葉集に収録されているが、池主の万葉仮名は比較的読みやすく、また歌ったり、素読したりすることでその印象はそれぞれ変わってくるように感じられる。


posted by nob-aki at 23:35| Comment(0) | manyoshu | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月28日

万葉集 その二十

manyoshu_20-page1.pngmanyoshu_20-page2.pngmanyoshu_20-page3.png

その二十は、大伴家持作のホトトギスを詠んだ歌、長歌一首とその反歌三首(4089〜4092)。「独りとばりの裏(うち)に居て、遙かにほととぎすの鳴くを聞きて作れる」と題される。

4089

4090

4091

4092



posted by nob-aki at 23:48| Comment(0) | manyoshu | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月13日

ピアノのための万葉集

manyoshu_piano_01-page1.pngmanyoshu_piano_01-page2.pngmanyoshu_piano_01-page3.png

manyoshu_piano_01.pdf


万葉集をピアノ作品化するということは、長歌をどう扱うかということが問題となる。ピアノ作品として音を加えていくことが効果的となる場合もあれば、単旋律のスタイルであることが音楽的に望ましく、ピアノ曲として構成する必要を感じない場合もあるだろう。

そもそも日本語は、音楽において、歌において、日本語の音は、ヨーロッパの言語と同じように伴奏を必要とするものなのか、そろそろいくらか疑ってみても良いのかもしれない。なぜ、和歌のようなスタイルのアートが存在するのか、興味深いことだと思う。

西洋の作曲技術によりつつも、わずか五小節のピアノのための作品が書けてしまうのは、それが日本語の音にもとづいているからに他ならない。

スコアに付された歌詞、すなわち和歌は、実際に声に出して歌っても歌わなくてもよいような、あるいは、ちょうどドレミのようなシラブルと思ってもよいかもしれない。違いを挙げるなら、ドレミは音が七つしかないのに対して、日本語の「かな」は、濁音等含めて五十以上の体系的に組織された音から成り、かつそれら音の連なりが、言語としての意味、内容を有していること、と言えるだろう。

今回取り上げた和歌は、大伴家持の立山を詠んだ歌で、長歌一首、反歌二首からなる。曲を書いてから、4002の歌にある片貝川について調べてみたら、魚津市の観光協会によれば、日本屈指の急流とのこと。知らずに、絶え間ない流れとして音が加えられたことは、それはそれとして望ましいことであるようにも思われる。


posted by nob-aki at 23:24| Comment(0) | manyoshu | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月21日

万葉集 その十九

manyoshu_19-page1.pngmanyoshu_19-page2.pngmanyoshu_19-page3.pngmanyoshu_19-page4.png


その十九は、長歌一首、短歌四首。作者は、大伴家持(4206)、坂上郎女(4220,4221)。2551と3056は、作者未詳歌。

4206 大伴家持作。「還りし時に浜の上に月の光を仰ぎ見たる歌一首」と題される。
「飽きてむ」の「飽く」は、十分に満足する、堪能する、の意。

4220-4221 坂上郎女作。「京師(みやこ)より来贈せる歌一首併せて短歌」と題され、反歌のあとには「右の二首は、大伴氏坂上郎女、女子(むすめ)の大嬢(おほおとめ)に賜へり。」と付記されている。

坂上郎女の娘である、坂上大嬢は家持の妻。また坂上郎女は、家持の叔母にあたる。日付は明記されていないが、第十九巻に収録されているその時系列からいって、大伴家持が少納言に遷任されて越中から帰京する前の天平勝宝二年ごろ、家持とともに越中にいる遠く離れた娘に、書いて贈った歌であり、その内容ということになるのだろう。

4206


2551


3056


4220


4221



VOCALOIDによるサンプル音源は、以前から使用している、MEIKO V3、鏡音リンと、先日VOCALOID V3 Editorとセットで購入した、結月ゆかりで作ったもの。

4220の長歌のサンプルは、その結月ゆかりで、音符に歌詞を流し込んだだけで、一切の調整なしの完全なべた打ち、DAWでもオートメーションを書くことなく、テンポのみテンポトラックで調整したもの。低域、中域あたりの落ち着きのある安定した歌唱は、長歌のサンプルには相性が良い。


posted by nob-aki at 00:52| Comment(0) | manyoshu | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月03日

万葉集 その十八

manyoshu_18-page1.pngmanyoshu_18-page2.pngmanyoshu_18-page3.pngmanyoshu_18-page4.pngmanyoshu_18-page5.png


その十八は、貧窮問答の歌(892)一首とその反歌(893)。作者は山上憶良。歌の内容から言って、あえて節をつけずとも、素読でよいのではないかとも思えたものの、そこはやはり山上憶良の作風なのだろうか、音楽的に整っていて、節をつけやすい。

今回は久しぶりにサンプル音源を制作し、反歌には伴奏をつけてみた。伴奏つきの反歌の楽譜も併せて以下に掲載。

manyoshu_18_hanka.png


貧窮問答の歌(892)


反歌(893)



posted by nob-aki at 00:45| Comment(0) | manyoshu | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月12日

万葉集 その十七

manyoshu_17-page1.pngmanyoshu_17-page2.pngmanyoshu_17-page3.pngmanyoshu_17-page4.pngmanyoshu_17-page5.pngmanyoshu_17-page6.png


その十七は、長歌一首、短歌五首。1629と1630の歌は長歌とその反歌。作者は、大伴家持(1629,1630)、駿河の婇女(507)、小野老(328)。1011と1012の歌は古歌とされる。

1629の長歌は、旋律の型が繰り返されるシンプルなつくりであるものの、それを古今和歌集の方法と組み合わせることで思いのほか、ただ読んでみてそれが面白いと感じられるような譜面になった。これは日本語がもつ面白さだろうか。

こうしてこの長歌の譜面を見ていると、黒丸ごとに拍をあるいは強拍を、無意識に読み取ってしまいそうになるかもしれない。けれども、一つのフレーズのまとまりは流動的で、リズムはなく、拍もない。拍ではなく、ただ発声を持続させる、長く引き伸ばすということが、音楽的なユニット、単位になる。即ち『ながむ(詠む)』ということ。

また音符の黒丸は、それぞれ均一に音を伸ばさなければならないともいえない。むしろ自らの良く知っている母国語の感覚に従って自由に伸び縮みしてもいい。たとえば、1630の歌なら、「みえつつ妹は」の「み」は、その前の「かほばな」の「か」よりも短めでいいだろうなど。必ずしも正解があるわけではなく、日本語能力に沿った主体的な自然さが優先される。

507の歌にある『浮宿(うきね)』とは、水鳥が水上に浮かんで寝ること。それを例えとし、転じて、泣きながら寝ること。また、心が落ち着かず、安眠できないこと。

1011と1012の二首は、古歌、すなわち二節の古い歌曲とされる。少し長めの題がついている。

冬十二月十二日に、歌儛所(うたまひどころ)の諸の王、臣子等の、葛井連広成の家に集ひて宴せる歌二首。

比来(このごろ)古儛盛りに興りて、古歳漸(やや)に晩れぬ。理(ことわり)に共に古情を尽して、同(とも)に古歌を唱ふべし。故、この趣に疑(なぞら)へて、すなわち古曲二節を献る。風流意気の士の、もしこの集ひの中に在らば、争ひて念(おもひ)を発(おこ)し、心々に古体(※古曲二節をさす)に和(こた)へよ。


328の歌には、すでに『万葉集その一』でいちど曲をつけている。同じ和歌に今、曲をつけるならどのようなものになるか、こころみたもの。


posted by nob-aki at 01:04| Comment(0) | manyoshu | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月28日

万葉集 その十六

manyoshu_16-page1.pngmanyoshu_16-page2.pngmanyoshu_16-page3.png


その十六は、短歌三首、長歌一首。1747〜1748は、長歌と反歌の組み合わせ。作者は、高橋連虫麻呂(1747〜1748)、大伴家持(1605)。1594の歌は、「仏前の唱歌一首」とのみ題され、歌とともにそれが歌われた当時の状況を伝える。

右(1954の歌)は、冬十月の皇后宮の維摩講に、終日大唐・高麗等の種々の音楽を供養し、この歌詞を歌ふ。弾琴は市原王と、忍坂王と[後に姓大原真人赤麿を賜へるなり]、歌子は田口朝臣家守と、河辺朝臣東人と、置始連長谷等と十数人なり。


この歌には、一つの音符に複数のかなをあてる手法を用いている。


posted by nob-aki at 22:42| Comment(0) | manyoshu | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月22日

万葉集 その十五

manyoshu_15-page1.pngmanyoshu_15-page2.png


その十五は、山部赤人作の短歌四首(1524〜1527)。万葉集第八巻は、四季ごとの雑歌と相聞歌で系統立てて構成されている。その中の「春の雑歌」に含まれる四首。


posted by nob-aki at 00:59| Comment(0) | manyoshu | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月23日

万葉集 その十四 補遺

manyoshu_14_hoi-page1.pngmanyoshu_14_hoi-page2.png


その十四の、17-18の歌は額田王の作とされるものだけに曲をつけたのものだけれども、17-19で一つのセットであろうということで、井戸王の作とされる19の歌にも曲をつけた。それにより、その十四は、長歌三首、短歌二首となる。

この17-19は、「額田王の近江国に下りし時に作れる歌、井戸王の即ち和へたる歌」と題される。

667年近江遷都で奈良を去る際の、三輪山への惜別歌。中大兄皇子がなぜ近江へ都を移したか、はっきりとしたことは分かっておらず、民衆のあいだではこの遷都には不満があったということは記録として残っているということなので、あまり容易ならざる状況のなかでの惜別ということになるのだろうと推察される。

「近江国に下りし時に作れる歌」とあるものの、17-18の歌の中での視線は終始、三輪山へと向けられる。ある場所を去る際何度も振り返るというのは、形式として他の歌にもあるので、たとえばすでに作曲をしたの138の歌など、そのような儀礼的な意味合いがあるものとも考えられるが、何がしかの理由で都を移るという状況においては、後ろ向きな印象が多分に強い感もあるように思われる。「雲」というのが、実際に山に掛かっているからそう詠むのか、何かを暗喩するものであるのか。

17の歌において、雲の「隠さふべしや」と読み下されているところは、万葉仮名によれば、「隠障倍之也」とある。なので、「隠さふべしや」でもいいし、「かく障ふべしや」と読んでも別に間違いではない。いずれにしろ雲によって遮られ山が見えなくなっていると読めるのではあるが。辞書で語彙を調べた限りでは他に解釈の可能性はなさそうだ。18の歌の「隠さふべしや」は万葉仮名では「可苦佐布倍之也」とあり、表意を廃してカナに徹した文字を選んでいるが、それでも「苦」の字が目に留まる。いずれにしろ動詞としては「隠す」か「障ふ」の二通りの解釈となるだろう。
ちなみに、18の歌では「隠す」と「隠さふ」とあるが、「隠さふ」の「ふ」は上代の反復・継続の助動詞ということで、それによって「隠さふ」は、「隠し続ける」といった意味合いになる。


19の歌は先の17-18の惜別歌にすなわち和(こた)へる歌とされる。

この歌は、三輪山にまつわる神話を題材としている。

神が素性を隠し、人間の男性として、若い娘のもとに通う。その素性を知らんとして娘は糸を通した針を男性の衣に刺し、翌日糸をたどっていけば、「美和山に至りて、神の社に留まりき。故、その神の子とは知りぬ。」(古事記)という三輪山伝説がこの歌の背景にある。

歌の内容を見ていくと、「へそ(綜麻)」とは糸を巻く道具であり、「林」とあるのは三輪山をとりまく「榛」の木の林ということだろうか。じっさい三輪山の麓の南東側あたりには「榛原」という地名がある。近鉄大阪線でいうと、朝倉〜榛原間がだいたい三輪山の麓あたりを走っているだろう。

染料として古くから用いられる榛(はん)の木は、ここでは榛(はり)と読むが、神話での衣につける針と、衣に色をつける染材としての榛(はり)と、両方の意味がある。

「わが背」(「背」とは女性から男性を親しんで呼ぶ語)を中大兄皇子(天智天皇)のことをさすものとすれば、榛が衣ににおうがごとく、この目ににおうと主を称え、その主の導き(神話の糸に例えられるところの)を信じて前へ進むもうというような内容の歌ということになるだろう。

けれどもこれは三輪山への惜別歌に答える歌であり、三輪山にまつわる神話を題材とした歌である。ならば「わが背」の「わが」は神話における「娘」であり、「背」は、素性を隠しその娘のもとに通う男性、即ち山そのものが信仰の対象とされる三輪山そのものを指すのだろう。

惜別の念のたえぬ三輪山をわが主に重ね合わせ、「娘」である自分はその糸の導きを信じて苦しい状況の中、前へ進んでいこうとする、後ろ向きであった三輪山への信仰を前向きへと転化する、先の17-18の歌にすなわち答える歌としては非常に優れた内容の、女性視点の歌ということになるだろう。

17


18


19



posted by nob-aki at 23:49| Comment(0) | manyoshu | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月13日

万葉集 その十四

manyoshu_14-page1.pngmanyoshu_14-page2.pngmanyoshu_14-page3.pngmanyoshu_14-page4.png

その十四は、長歌三首、短歌一首。額田王の作が三首(16、17〜18)。天武天皇の作が一首(25)。18の短歌は17の長歌の反歌。

16


17


18


25



posted by nob-aki at 00:38| Comment(0) | manyoshu | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月25日

万葉集 その十三

manyoshu_13-page1.pngmanyoshu_13-page2.pngmanyoshu_13-page3.pngmanyoshu_13-page4.png

その十三は、長歌二首、短歌二首、山部赤人の作。324〜325、372〜373、どちらも長歌、反歌の組み合わせ。長歌については前作、前々作から引き続いて、繰り返す旋律のスタイルが採られるが、今作、特に324の長歌については、繰り返す旋律のスタイルをベースに、展開的要素も加味したものとなっている。

長歌の形式を示す必要から、今回も音のサンプルを制作したが、372の長歌のサンプルはこれまでのものと違って、あえて間をおいて拍をぼかすことなく、拍子が明確な状態のままとした。そもそもの長歌の形式を考えれば、一つのスタイルとして成立するだろう。

もっとも、和歌は自分で詠むものであって、あまり人が詠むのを聴いて鑑賞するものではないだろう。和歌を、もし自分で歌うのであれば、一定のテンポでキッチリ歌おうという気にはあまりならないかもしれない。

いずれにしろ、歌い方を定めるものではないので、それをサンプルとして並置させるのも一つの分かりやすさとなるかもしれない。

324


325



372


373




posted by nob-aki at 01:30| Comment(0) | manyoshu | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。