

その十四の、17-18の歌は額田王の作とされるものだけに曲をつけたのものだけれども、17-19で一つのセットであろうということで、井戸王の作とされる19の歌にも曲をつけた。それにより、その十四は、長歌三首、短歌二首となる。
この17-19は、「額田王の近江国に下りし時に作れる歌、井戸王の即ち和へたる歌」と題される。
667年近江遷都で奈良を去る際の、三輪山への惜別歌。中大兄皇子がなぜ近江へ都を移したか、はっきりとしたことは分かっておらず、民衆のあいだではこの遷都には不満があったということは記録として残っているということなので、あまり容易ならざる状況のなかでの惜別ということになるのだろうと推察される。
「近江国に下りし時に作れる歌」とあるものの、17-18の歌の中での視線は終始、三輪山へと向けられる。ある場所を去る際何度も振り返るというのは、形式として他の歌にもあるので、たとえばすでに作曲をしたの138の歌など、そのような儀礼的な意味合いがあるものとも考えられるが、何がしかの理由で都を移るという状況においては、後ろ向きな印象が多分に強い感もあるように思われる。「雲」というのが、実際に山に掛かっているからそう詠むのか、何かを暗喩するものであるのか。
17の歌において、雲の「隠さふべしや」と読み下されているところは、万葉仮名によれば、「隠障倍之也」とある。なので、「隠さふべしや」でもいいし、「かく障ふべしや」と読んでも別に間違いではない。いずれにしろ雲によって遮られ山が見えなくなっていると読めるのではあるが。辞書で語彙を調べた限りでは他に解釈の可能性はなさそうだ。18の歌の「隠さふべしや」は万葉仮名では「可苦佐布倍之也」とあり、表意を廃してカナに徹した文字を選んでいるが、それでも「苦」の字が目に留まる。いずれにしろ動詞としては「隠す」か「障ふ」の二通りの解釈となるだろう。
ちなみに、18の歌では「隠す」と「隠さふ」とあるが、「隠さふ」の「ふ」は上代の反復・継続の助動詞ということで、それによって「隠さふ」は、「隠し続ける」といった意味合いになる。
19の歌は先の17-18の惜別歌にすなわち和(こた)へる歌とされる。
この歌は、三輪山にまつわる神話を題材としている。
神が素性を隠し、人間の男性として、若い娘のもとに通う。その素性を知らんとして娘は糸を通した針を男性の衣に刺し、翌日糸をたどっていけば、「美和山に至りて、神の社に留まりき。故、その神の子とは知りぬ。」(古事記)という三輪山伝説がこの歌の背景にある。
歌の内容を見ていくと、「へそ(綜麻)」とは糸を巻く道具であり、「林」とあるのは三輪山をとりまく「榛」の木の林ということだろうか。じっさい三輪山の麓の南東側あたりには「榛原」という地名がある。近鉄大阪線でいうと、朝倉〜榛原間がだいたい三輪山の麓あたりを走っているだろう。
染料として古くから用いられる榛(はん)の木は、ここでは榛(はり)と読むが、神話での衣につける針と、衣に色をつける染材としての榛(はり)と、両方の意味がある。
「わが背」(「背」とは女性から男性を親しんで呼ぶ語)を中大兄皇子(天智天皇)のことをさすものとすれば、榛が衣ににおうがごとく、この目ににおうと主を称え、その主の導き(神話の糸に例えられるところの)を信じて前へ進むもうというような内容の歌ということになるだろう。
けれどもこれは三輪山への惜別歌に答える歌であり、三輪山にまつわる神話を題材とした歌である。ならば「わが背」の「わが」は神話における「娘」であり、「背」は、素性を隠しその娘のもとに通う男性、即ち山そのものが信仰の対象とされる三輪山そのものを指すのだろう。
惜別の念のたえぬ三輪山をわが主に重ね合わせ、「娘」である自分はその糸の導きを信じて苦しい状況の中、前へ進んでいこうとする、後ろ向きであった三輪山への信仰を前向きへと転化する、先の17-18の歌にすなわち答える歌としては非常に優れた内容の、女性視点の歌ということになるだろう。
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posted by nob-aki at 23:49|
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